礒村彌右衞門 明治23年、高槻市西天川生まれ。大正10年、大冠村長に当選。昭和6年の高槻町、芥川町、大冠村、清水村、磐手村の5か町村合併にあたって尽力し、新「高槻町」の初代町長に就任。昭和18年1月1日、大阪府下9番目の市として高槻市が誕生。市制施行後は初代市長、初代市議会議長に就任し、治山治水、道路改修、産業、教育等、行政各般にその手腕を振るい、高槻市発展の礎を築いた。また、大正8年に大阪府議会議員に当選以来23年有余在任。この間、第35代、第36代府議会議長を務めたほか、大阪府市町村会会長、大阪府農業会会長等の要職を歴任、一貫して市の発展と公共の福祉の増進に尽くし、多大の功績を残した。(昭和41年逝去) |
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中井啓吉 明治23年、高槻市古曽部生まれ。大正9年、磐手村議会議員に当選。昭和2年に磐手村長に選ばれ治績をあげた。昭和6年、5か町村合併の際には、反対派の説得に奔走し、新「高槻町」の実現に貢献。新町制が施行すると名誉助役に推され、礒村町政を支えて12年有余在任、昭和18年の市制施行後も引き続き助役を務めた。同20年、第2代高槻市長に選任され、戦後復興と市民生活の安定に尽力した。その後、同22年、大阪府議会議員に当選。市政の各部門に通じたことから積極的に指導に努め、ここに写真の説明を入力してください。至誠一貫して市の向上進展に尽くすとともに、大阪府農業協同組合連合会会長等の要職を歴任されるなど、広く社会の進歩発展に貢献した。(昭和41年逝去) |
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崎達之助 明治18年、高槻市柱本生まれ。明治39年農商務省水産講習所(現東京海洋大学)を卒業。大正6年に東洋製罐株式会社を創立。同27年には電源開発株式会社初代総裁となり、御母衣ダム建設の際には、寺の境内の片隅に樹齢400年にも及ぶ大きな桜の木があったが、村人たちにとって生活の象徴である桜を救いたいとの思いで、困難な移植を敢行。その桜は荘川桜と名付けられた。第二次岸内閣時には通商産業大臣、科学技術庁長官等を務めた。同年、バンドンで開かれたアジア・アフリカ会議では日本政府主席代表を務め、平和十原則採択に貢献。また、日中経済交流の基礎となるLT貿易(Lは廖承志氏、Tは碕氏の頭文字)を実現させ、日中友好の架け橋となるなど、長年にわたり政財界において数々の功績を残した。(昭和39年逝去) |
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山崎旭萃(本名:永井ハル) 明治39年、大阪市生まれ。大正4年に琵琶の倉増旭陵門下に入り、斯道の修業、演奏技法の研鑚に励まれ、同11年に自らの「山崎旭萃会」を創立。昭和39年には、琵琶と詩吟を融合した「大和流琵吟楽山崎光掾会」を創始し、同42年には筑前琵琶日本橘会の最高位である「宗範」に推された。高槻市には昭和44年から住まわれ、琵琶の普及、振興に尽くし、演奏会や講演を通じて地域文化の発展にも大いに貢献された。平成7年、その半生をかけて追求した琵琶の抑制の効いた表現に備わる高い精神性、芸術性が認められ、高度な技法をもって芸能史上にも大きな足跡を標されたことに対し、琵琶奏者として初の国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。(平成18年逝去) |
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村上三島(本名:村上正一) 明末清初の書人・王鐸の草書連綿体に傾倒しながら、これに独特の解釈を加え、流麗で躍動感あふれる独自の書風を確立したわが国を代表する書家。大正元年、愛媛県で生まれ、15歳で書を志して書家の片山萬年氏に師事。以来、斯界の修行・研鑚に励み、昭和7年には「京都平安書道会優等賞」を受賞。昭和23年には日本書芸院審査員となり、同24年の第5回日展で「杜甫寄弟詩」が特選、同27年の第8回日展で同じく「陸放翁暁嘆詩」が特選となるなど、澄明にして枯淡の境地を開拓したと高い評価を受けた。平成5年には文化功労者として顕彰された。同6年には日展顧問、日本書芸院常任顧問に就任。同10年には書の道70余年の業績が称えられ、文化勲章を受章した。(平成17年逝去) |
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